=幕末をゆく=

安政六年(1859)に長崎海軍伝習所が閉鎖されると、観光丸は、翌 万延元年(1860)佐賀藩にあずけられ、佐賀藩伝習船となった。観光丸の船将(艦長)は長崎海軍伝習所で学んだ、後の日本赤十字社の創立者・佐野常民(さの つねたみ)であった。

「武士道とは、死ぬ事と見つけたり───」
───『葉隠』の精神で知られる佐賀藩 鍋島氏は、福岡藩 黒田氏と交替で長崎警備に当たる九州の雄藩で、海外事情に対する関心は深いものがあった。しかし、鎖国の間においてはその湾岸警備体制が時代遅れのものになる事は避けられず、遂に文化五年(1808)のフェートン号事件で、オランダ船に偽装して侵入してきたイギリス軍艦フェートン号に長崎港内で傍若無人に振る舞われ、これを恥じた長崎奉行が責任を負って切腹すると云う屈辱を受けて以来、佐賀藩は洋式化に全力を傾け、当時の日本でも屈指の科学技術を習得した。日本初の反射高炉の設置、それによるアームストロング砲の鋳造などである。前述の長崎海軍伝習所にも大勢の藩士を送り込み、当初より理化学の基礎を学んでいた為に佐賀藩士は教えやすいとオランダ人教官にも好評で、却って旗本出身の伝習生に嫉妬されることさえあったという。此処で育った人材は、天才的な人物こそ出はしなかったが、層の厚い人材を準備し、明治海軍の基礎を設定する際には主力として活躍する事になった。

文久三年(1863)十二月、将軍・徳川家茂 上洛。長州征伐の指揮を執るため、大阪城に入ることとなる。
このとき、幕府では例のとおり陸路・東海道の使用が提案されたが、ここで軍艦奉行であった勝海舟が、異例の提案をした。
───日本は海国であるから、国防のためには海軍を起こさねばならぬ。しかし海軍を起こすには将軍などが率先して これを奨励してくださらなくてはいけない。それ故このたびの上洛も、諸藩の軍艦を従えて、海路より出発あるがよろしかろう、というのだ。
この頃、諸藩は競って西欧から軍艦・汽船を購入していた。だが、船は買えても技術は買えず、自慢の艦船を差し出したくとも動かす人間が藩にいない。しかし操練に不安のある藩には、海軍操練所で育成された勝の部下が三人ずつ配置されるとなり、各藩おおいに喜んだ。これで面子も立つうえに、技術も得られる、一石二鳥である。
これにより、十二隻からなる幕府・諸藩の連合艦隊が編成されると、佐賀藩伝習船であった観光丸もこれに参加。十二月二十七日、将軍家茂は芝御浜御殿より端舟にて品川沖の翔鶴丸に乗船。翌二十八日出航。伊豆沖で時化に遭い、陸路案も出されたが、翌元治元年壱月八日、無事、大阪・天保湾に投錨した。この時の艦隊編成は以下の通りである。国籍も建造年も形式もまちまち、動力も、帆船から外輪船、はては最新のスクリュー式まで混在するという、いっぷう変わった『連合艦隊』であった。

幕府:翔鶴丸(御座船;1857年米国製仮装軍艦外輪汽船・原名ヤンツーツェ[楊子江])、
   朝陽丸(1856年オランダ製の新造スクリュー式コルベット艦。咸臨丸の姉妹艦。原名エド)、
   千秋丸(1850年米国製バーク帆船・原名ダニエル・ウェブスター)、
   第一長崎丸(1857年英国製外輪汽船・原名ビクトリア)、
   播龍丸 (1857年英国王室製武装スクリュー式ヨット。原名エンペラー)
佐賀藩:観光丸(1853年オランダ製外輪式コルベット艦・原名スンビン)、
筑前藩:大鵬丸(1855年米国製の艦船で、原名コロンビア)、
薩摩藩:安行丸(1852年英国製の蒸気帆船で、原名サラ)、
越前藩:黒龍丸(1863年米国製の艦船で、原名コムシング[金星])、
松江(雲州)藩:第一八雲丸(1862年英国製の艦船で、原名ガゼル)
加賀藩:発起丸(1861年英国より購入の汽船)、南部(盛岡)藩:廣運丸(帆船)

将軍家茂の不意の到着に、地元を大いに驚かせたものの、艦隊は無事に大阪に到着。これを発案し、みずから艦隊の指揮をとった勝海舟は、自著「氷川清話」に『将軍が多数の軍艦を率いて上洛するということは、前古未曽有のことで、実に壮観であった』と書いている。
余談だが、途中、艦船による速度競争まで行われるというお祭り騒ぎもあったようだ。ちなみに一位は松江藩の第一八雲丸、二位は薩摩藩の安行丸であった。

この後、観光丸を佐賀へ回航する際には、勝の計らいで坂本龍馬も観光丸に乗り組み、長崎へと向かった。

 =明治=

───のちに大政奉還を迎え、朝廷を中心軸とする新政府に恭順した徳川幕府は、明治元年(1868)、観光丸をはじめとする海軍艦船を新政府軍に引き渡した。
観光丸はのち石川島に繋留され、やがて明治九年(1876)、除籍・解体処分となる。
同時期の咸臨丸のような華々しい経歴こそない。
しかし、オランダ海軍の艦艇として生まれながら、幕府・諸藩の海軍育成に貢献した四半世紀のその歴史は、まさに、幕末の波濤を乗り越え、疾風の中を駆け抜けてその生涯を全うした『青い目のサムライ』のそれであった───

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───というわけで、ご来場の際はぜひ、NHK大河ドラマ「新撰組!」にも出演中の「観光丸」による大村湾クルーズをお楽しみ下さい(荒天ないし冬期運休)。「坂本サン」も乗っている・・・かも(って、それはJR九州さんのTV-CM ^^;)

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