おすすめ。
2003年11月13日 千年の街のワイルドライフハウステンボスの、おすすめの秋の過ごし方。
「どんぐり拾い」。
・・・とか言ってたら、近所の小学校の秋の遠足がそれだった。
うぅーん。
「どんぐり拾い」。
・・・とか言ってたら、近所の小学校の秋の遠足がそれだった。
うぅーん。
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来年の正月時代劇&今度のコナンSP
2003年11月10日 TVテレビ東京系列2004年正月時代劇「竜馬がゆく(原作・司馬遼太郎)」に、例によって例の如く(笑)、観光丸が出演してますので、お楽しみに!
あと、11月17日(月)のアニメ『名探偵コナン』スペシャル(よみうりテレビ・日本テレビ系)は、その名も「ハウステンボスの花嫁」です。
舞台はもちろんハウステンボス! これはJR西日本グループと日本旅行(赤い風船)さんが企画した、今年のコナン・ミステリツアーの解答編なのです(^o^)!
ハウステンボス史上初のアニメ化! いったいどんなふうになるのかな〜。ツアーに参加しなかった方も是非!
この間の「トロと旅する」の舞台にもなったし、ハウステンボスに来れない皆さん、せめてTVで見てやってくださいね!
注)これは視聴率操作のための書き込みではありません(笑)
あと、11月17日(月)のアニメ『名探偵コナン』スペシャル(よみうりテレビ・日本テレビ系)は、その名も「ハウステンボスの花嫁」です。
舞台はもちろんハウステンボス! これはJR西日本グループと日本旅行(赤い風船)さんが企画した、今年のコナン・ミステリツアーの解答編なのです(^o^)!
ハウステンボス史上初のアニメ化! いったいどんなふうになるのかな〜。ツアーに参加しなかった方も是非!
この間の「トロと旅する」の舞台にもなったし、ハウステンボスに来れない皆さん、せめてTVで見てやってくださいね!
注)これは視聴率操作のための書き込みではありません(笑)
2003年11月4日、佐世保港。
目にしみるほどのお天気。いよいよ、日本を離れる日だ。
佐世保港を一望できるという、西海町の寄船鼻へ向かう。
道沿いには『南蛮船』『船番所』といった史跡名が目に付く。
平戸にオランダ商館があった昔から、ここは海上交通の要所だったのだ。
佐世保港には、プリンス・ウィレムの3倍ほどもある、驚くほど巨大な浮きドック式台船が出航を待っていた。
このタイプの台船は、船体に自在に海水を出し入れすることで浮力を変え、喫水を変える。自らの船体を半ば沈めてプリンス・ウィレムを導きいれ、その後排水することで通常の喫水に戻す。ドック内をまったくのドライの状態にすることすらでき、空いた部分にはコンテナなども積むことができるという。
プリンス・ウィレムの船体が、ほんとうに小さく見える。かなしいくらいに。
心地よい秋の風が、すすきの穂を揺らしていた。
打ち寄せる波の音だけが響いている。
2003年11月4日、14:00。
アンカー(錨)が引き上げられ、色鮮やかなオレンジ色の船体が、時計の長針ほどにも感じられるほどの繊細さで180度回頭を始めた。
台船は、小さな小さなパイロット(水先案内)船の先導で、ゆっくりと佐世保港を出航した。
目の前を過ぎていくそれを、我々は黙って見送った。
―――ほんとうの出航を見届けたハウステンボスのスタッフは、わずかに三人だった。
白く輝く水平線の方へ、巨大な船影は、消えていった。
インド洋を渡り、スエズ運河経由で、ヨーロッパへ。
航海期間は、45日―――。
クリスマスには、故郷に着ける。
昔見た名画の台詞が、胸に甦る。
今、万感の想いを込めて、別れを告げよう。
さらば友よ、さようならプリンス・ウィレム、God bless you(貴方に神の御恵みがあらんことを)―――
目にしみるほどのお天気。いよいよ、日本を離れる日だ。
佐世保港を一望できるという、西海町の寄船鼻へ向かう。
道沿いには『南蛮船』『船番所』といった史跡名が目に付く。
平戸にオランダ商館があった昔から、ここは海上交通の要所だったのだ。
佐世保港には、プリンス・ウィレムの3倍ほどもある、驚くほど巨大な浮きドック式台船が出航を待っていた。
このタイプの台船は、船体に自在に海水を出し入れすることで浮力を変え、喫水を変える。自らの船体を半ば沈めてプリンス・ウィレムを導きいれ、その後排水することで通常の喫水に戻す。ドック内をまったくのドライの状態にすることすらでき、空いた部分にはコンテナなども積むことができるという。
プリンス・ウィレムの船体が、ほんとうに小さく見える。かなしいくらいに。
心地よい秋の風が、すすきの穂を揺らしていた。
打ち寄せる波の音だけが響いている。
2003年11月4日、14:00。
アンカー(錨)が引き上げられ、色鮮やかなオレンジ色の船体が、時計の長針ほどにも感じられるほどの繊細さで180度回頭を始めた。
台船は、小さな小さなパイロット(水先案内)船の先導で、ゆっくりと佐世保港を出航した。
目の前を過ぎていくそれを、我々は黙って見送った。
―――ほんとうの出航を見届けたハウステンボスのスタッフは、わずかに三人だった。
白く輝く水平線の方へ、巨大な船影は、消えていった。
インド洋を渡り、スエズ運河経由で、ヨーロッパへ。
航海期間は、45日―――。
クリスマスには、故郷に着ける。
昔見た名画の台詞が、胸に甦る。
今、万感の想いを込めて、別れを告げよう。
さらば友よ、さようならプリンス・ウィレム、God bless you(貴方に神の御恵みがあらんことを)―――
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2003年11月2日、大村湾を出る
そのぎ港での作業が全て終了した。プリンス・ウィレムはここから再びタグボートに曳航され、西海橋の下を通過して佐世保港へ向かう。
自力航行には200名もの熟練した船乗りと恵まれた風と数カ月のスケジュールを必要とするため、そこからは浮きドック式の台船に乗せられて、オランダへと向かうのだ。
来日した時の台船は、プリンス・ウィレムの輸送を最後に解体されて今は無い。佐世保港で待っているのは、新たに建造された台船だ。
我々は、そのぎ港からプリンス・ウィレムを追うチームと、西海橋で待ち受けるチームの二手に分かれて撮影することにした。
私が向かったのは、西海橋だった。
車を止め、海岸まで降りて、機材を据える。いつものように釣りをしている人々が、何事だろうという顔をする。
オランダ村を離れる際には華々しく報道されたプリンス・ウィレムだったが、その後のスケジュールは公開されていないからだ。
しばらく待っていると、海上保安庁の巡視艇が来て、漁船や遊漁船にアナウンスをはじめた。
『まもなくここを、帆船プリンス・ウィレムが通過します。航行中の船舶は充分に注意し、船影が見えたら航路から外れてください―――』
船体につけられた電光表示板にまで船名が書かれているのが、誇らしいやら照れくさいやら。友人がTVに出ているのを偶然見たような、おかしな気分だった。
先導のタグボートが見えた。別働隊のカメラが乗っている高速艇が、勢い良くそれを追い越していく。
もうすぐ、プリンス・ウィレムが、ここへ来る。
―――ふと見ると、曲がりくねった道の向こうで、ワンボックス車1台分の子供たちが走り出して来て、防波堤から身を乗り出して通過を待っていた。地元の子達だろうか―――?
姿が見えると、子供たちは口々に無邪気な声をあげた。
「おーい」「おおーい」―――
その声に答えるように、西海橋の下に、黒い船影が姿を現した。
あらためて、でかい、と思う。何の知識もなくこんな船を目撃してしまった江戸の人々は、さぞ度肝を抜かれただろう。
プリンス・ウィレムはゆっくりと、こちらへとやって来る。そしてゆっくりと、目の前を過ぎていく。
慌ててケータイのシャッターを切る人たちがいる。
子どもたちの声は、いつの間にか、別れの言葉に変わっていった。
「さようならー」「さようならぁー」「ばいばーい」「元気でねー」 そして、「また来てねー」―――
・・・何も言えなかった。
後で聞くと、そのぎ港でも子供たちが見送りに来てくれたのだそうだ。
遠ざかるプリンス・ウィレムを追いかけて、岸壁を走りながら手を振り続けた少年。一緒に行くんだといって泣き出した幼い男の子 ―――。そのぎ港に仮係留されたこの数日間で、プリンス・ウィレムの『ともだち』になってくれた、この町の子たち。
彼らが生まれる前から見守っていた、波静かな琴の海・大村湾。
その大村湾と外海をつなぐ海峡に架かる西海橋を、『再会橋』だと思っていた人は少なくないという。かつて東洋一とうたわれたアーチ橋。日本三大潮流のひとつに架かるその橋を、もうくぐることはないはずだった。
その西海橋を、プリンス・ウィレムは再びくぐった。
―――この日、プリンス・ウィレムは佐世保港へ到着、数時間かけて慎重に台船へと積み込まれた。
そのぎ港での作業が全て終了した。プリンス・ウィレムはここから再びタグボートに曳航され、西海橋の下を通過して佐世保港へ向かう。
自力航行には200名もの熟練した船乗りと恵まれた風と数カ月のスケジュールを必要とするため、そこからは浮きドック式の台船に乗せられて、オランダへと向かうのだ。
来日した時の台船は、プリンス・ウィレムの輸送を最後に解体されて今は無い。佐世保港で待っているのは、新たに建造された台船だ。
我々は、そのぎ港からプリンス・ウィレムを追うチームと、西海橋で待ち受けるチームの二手に分かれて撮影することにした。
私が向かったのは、西海橋だった。
車を止め、海岸まで降りて、機材を据える。いつものように釣りをしている人々が、何事だろうという顔をする。
オランダ村を離れる際には華々しく報道されたプリンス・ウィレムだったが、その後のスケジュールは公開されていないからだ。
しばらく待っていると、海上保安庁の巡視艇が来て、漁船や遊漁船にアナウンスをはじめた。
『まもなくここを、帆船プリンス・ウィレムが通過します。航行中の船舶は充分に注意し、船影が見えたら航路から外れてください―――』
船体につけられた電光表示板にまで船名が書かれているのが、誇らしいやら照れくさいやら。友人がTVに出ているのを偶然見たような、おかしな気分だった。
先導のタグボートが見えた。別働隊のカメラが乗っている高速艇が、勢い良くそれを追い越していく。
もうすぐ、プリンス・ウィレムが、ここへ来る。
―――ふと見ると、曲がりくねった道の向こうで、ワンボックス車1台分の子供たちが走り出して来て、防波堤から身を乗り出して通過を待っていた。地元の子達だろうか―――?
姿が見えると、子供たちは口々に無邪気な声をあげた。
「おーい」「おおーい」―――
その声に答えるように、西海橋の下に、黒い船影が姿を現した。
あらためて、でかい、と思う。何の知識もなくこんな船を目撃してしまった江戸の人々は、さぞ度肝を抜かれただろう。
プリンス・ウィレムはゆっくりと、こちらへとやって来る。そしてゆっくりと、目の前を過ぎていく。
慌ててケータイのシャッターを切る人たちがいる。
子どもたちの声は、いつの間にか、別れの言葉に変わっていった。
「さようならー」「さようならぁー」「ばいばーい」「元気でねー」 そして、「また来てねー」―――
・・・何も言えなかった。
後で聞くと、そのぎ港でも子供たちが見送りに来てくれたのだそうだ。
遠ざかるプリンス・ウィレムを追いかけて、岸壁を走りながら手を振り続けた少年。一緒に行くんだといって泣き出した幼い男の子 ―――。そのぎ港に仮係留されたこの数日間で、プリンス・ウィレムの『ともだち』になってくれた、この町の子たち。
彼らが生まれる前から見守っていた、波静かな琴の海・大村湾。
その大村湾と外海をつなぐ海峡に架かる西海橋を、『再会橋』だと思っていた人は少なくないという。かつて東洋一とうたわれたアーチ橋。日本三大潮流のひとつに架かるその橋を、もうくぐることはないはずだった。
その西海橋を、プリンス・ウィレムは再びくぐった。
―――この日、プリンス・ウィレムは佐世保港へ到着、数時間かけて慎重に台船へと積み込まれた。
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2003年10月23日、そのぎ港。天気晴朗。
オランダ村を離れたプリンス・ウィレムは、作業のためその日のうちに対岸のそのぎ港へと寄港していた。
主な内容は、ヤードと呼ばれるセイル(帆)を支える横木をすべて外す作業と、3本あるマストの頭頂部を、西海橋をくぐれるように縮める作業だ。
巨大なクレーンと高所作業車がプリンス・ウィレムへと腕を伸ばし、艤装を解く作業が始まった。
英語とオランダ語と長崎弁(笑)の飛び交うきびきびとした小気味良い作業を、我々は2時間ほど追い続けた。
いつの間にか、埠頭には多くの人が見物に集まっていた。
無理もない。いつもなら砂利採取船などが寄港するこの港に、17世紀の木造帆船が停泊しているのだから。
いつものように釣り糸を垂れていた太公望。お昼を食べようと空き地に車を止めた営業マン。それだけではない、高いマストを見て、自転車を飛ばして来たお母さん、子どもを車に乗せてわざわざ見せに来た若い女性など、何もない埠頭は突然、公園のような賑わいとなった。
「夫が外国航路に勤めてましたの。いつまでいるのかしら? うちの人にも教えてあげなくちゃ・・・」
初老の婦人はそう言って眩しそうに船体を見上げた。
作業は1週間ほどかかる予定だ。その間、プリンス・ウィレムの姿を町の多くの人が思いがけず見ることになるのだろう。
オランダ村を離れたプリンス・ウィレムは、作業のためその日のうちに対岸のそのぎ港へと寄港していた。
主な内容は、ヤードと呼ばれるセイル(帆)を支える横木をすべて外す作業と、3本あるマストの頭頂部を、西海橋をくぐれるように縮める作業だ。
巨大なクレーンと高所作業車がプリンス・ウィレムへと腕を伸ばし、艤装を解く作業が始まった。
英語とオランダ語と長崎弁(笑)の飛び交うきびきびとした小気味良い作業を、我々は2時間ほど追い続けた。
いつの間にか、埠頭には多くの人が見物に集まっていた。
無理もない。いつもなら砂利採取船などが寄港するこの港に、17世紀の木造帆船が停泊しているのだから。
いつものように釣り糸を垂れていた太公望。お昼を食べようと空き地に車を止めた営業マン。それだけではない、高いマストを見て、自転車を飛ばして来たお母さん、子どもを車に乗せてわざわざ見せに来た若い女性など、何もない埠頭は突然、公園のような賑わいとなった。
「夫が外国航路に勤めてましたの。いつまでいるのかしら? うちの人にも教えてあげなくちゃ・・・」
初老の婦人はそう言って眩しそうに船体を見上げた。
作業は1週間ほどかかる予定だ。その間、プリンス・ウィレムの姿を町の多くの人が思いがけず見ることになるのだろう。
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ぬけるような青空だった。
朝一番で、出勤途上の私に連絡が入った。
「プリンス・ウィレムの出航が決まった。撮影に行ってほしい―――」
1985年から、長崎オランダ村と苦楽をともにしてきた船の、突然の離日だった。
17世紀オランダの木造帆船「プリンス・ウィレム」。全長73.5メートル、幅14.5メートル、総トン数2,000トン。メインマストの最大高は56.5メートルで、そのままでは西海橋をくぐれないほどの巨大さである。事実、17世紀最大にして最も美しいとまでいわれた帆船であった。1650年、オランダ南部最大の貿易港であるミデルブルグで進水、1651年バタヴィア(現在のインドネシア・ジャカルタ)へ処女航海。乗組員200名、武装は大砲30門。1652年の蘭英戦争ではオランダ海軍に接収され、「タウンズの戦い」に旗艦として参戦。終戦後再び連合オランダ東インド会社(V.O.C.)の商船として活躍したが、1662年バタヴィアからの帰途、大海原に散った。
それから3世紀もの時が過ぎ、1985年、プリンス・ウィレムは往時の姿のままに甦った。
きっかけは1983年、長崎オランダ村オープンを祝ってオランダ政府から寄贈された同船の精緻な模型に、同社の神近義邦社長(当時)がいたく感動し、その場で代表者の手に戻し「これを復元して欲しい」と依頼したというのだ。
その後、当時の資料とその模型を元にオランダ・フリースラント州マックム市のアーメルス造船所で復元、巨大な浮きドック式の台船に乗せられて海を渡り来日。村のシンボルとして係留され、以後16年間、来園者の圧倒的な人気を集めた。
17世紀オランダの港町を再現したオランダ村のその風景は一見、誰の目にも当たり前の光景に見えただろう。
しかし実際には、巨大な船体を当時のアンカー(錨)だけで係留するのは不可能で、海底には特殊なスタビライザーが数機、打ち込まれて固定されていた。1991年9月27日、まだ建築中だったドムトールンさえ震わせた超大型台風19号をはじめとする暴風雨にも、それは耐え続けた。
―――2001年、長崎オランダ村は無期限の休園となったが、その後も、プリンス・ウィレムは村を見守り続けた。雨の日も、風の日も。
今年8月、オランダのデン・ヘルダー市に2004年オープン予定の、海をテーマとするテーマパークが受け入れ先に決まった。売却価格は100万ユーロ。『故郷(くに)へ帰る』と聞いて、安心したのも事実だが・・・正直、寂しかった。
オランダ村に着いてみると、西彼町のはからいだろう、地元の中学生や幼稚園児ら約400人が集まってくれていた。手作りの赤青白3色のオランダ国旗を振り、プリンス・ウィレムを曳航する数隻のタグボートが作業を進めるのを興味深そうに見守っている。
見送りの中には、懐かしい人もいた。地元のメディアも来ていた。空にはヘリコプターさえ飛んでいた。低く飛ぶその爆音の中で、プリンス・ウィレムは出航しようとしている。紅蓮のライオンのフィギュアヘッド(船首像)が、いつもと変わらず波頭を見つめていた。
町長の挨拶をはじめとする短いセレモニーが終わり、いよいよ、出航の時が近づいた。
タグボートから張られたロープにピン、とテンションがかかり、巨大な船体が音もなく滑り始めた瞬間、カメラを回していた同僚は胸が熱くなったという。
―――いつまでも変わらずにそこにあると信じていたものが、不意にいなくなってしまう瞬間。
もう、オランダの建物越しに見えるマストと、そこにひるがえる旗を見ることはないのだ。
タグボートの巧みな曳航で、プリンス・ウィレムは18年もの時を過ごしたオランダ村を後にした。
オランダの児童小説に題材を取った『ボンテクー船長付きの三人の少年給仕たち』の銅像が、まるでその本の中の1シーンのように、去っていく船体を見送っている。
港を遠ざかる、その船影。
「行っちまった・・・」
古いスタッフがそう呟いたが、本当の出航準備は―――、これからだった。
朝一番で、出勤途上の私に連絡が入った。
「プリンス・ウィレムの出航が決まった。撮影に行ってほしい―――」
1985年から、長崎オランダ村と苦楽をともにしてきた船の、突然の離日だった。
17世紀オランダの木造帆船「プリンス・ウィレム」。全長73.5メートル、幅14.5メートル、総トン数2,000トン。メインマストの最大高は56.5メートルで、そのままでは西海橋をくぐれないほどの巨大さである。事実、17世紀最大にして最も美しいとまでいわれた帆船であった。1650年、オランダ南部最大の貿易港であるミデルブルグで進水、1651年バタヴィア(現在のインドネシア・ジャカルタ)へ処女航海。乗組員200名、武装は大砲30門。1652年の蘭英戦争ではオランダ海軍に接収され、「タウンズの戦い」に旗艦として参戦。終戦後再び連合オランダ東インド会社(V.O.C.)の商船として活躍したが、1662年バタヴィアからの帰途、大海原に散った。
それから3世紀もの時が過ぎ、1985年、プリンス・ウィレムは往時の姿のままに甦った。
きっかけは1983年、長崎オランダ村オープンを祝ってオランダ政府から寄贈された同船の精緻な模型に、同社の神近義邦社長(当時)がいたく感動し、その場で代表者の手に戻し「これを復元して欲しい」と依頼したというのだ。
その後、当時の資料とその模型を元にオランダ・フリースラント州マックム市のアーメルス造船所で復元、巨大な浮きドック式の台船に乗せられて海を渡り来日。村のシンボルとして係留され、以後16年間、来園者の圧倒的な人気を集めた。
17世紀オランダの港町を再現したオランダ村のその風景は一見、誰の目にも当たり前の光景に見えただろう。
しかし実際には、巨大な船体を当時のアンカー(錨)だけで係留するのは不可能で、海底には特殊なスタビライザーが数機、打ち込まれて固定されていた。1991年9月27日、まだ建築中だったドムトールンさえ震わせた超大型台風19号をはじめとする暴風雨にも、それは耐え続けた。
―――2001年、長崎オランダ村は無期限の休園となったが、その後も、プリンス・ウィレムは村を見守り続けた。雨の日も、風の日も。
今年8月、オランダのデン・ヘルダー市に2004年オープン予定の、海をテーマとするテーマパークが受け入れ先に決まった。売却価格は100万ユーロ。『故郷(くに)へ帰る』と聞いて、安心したのも事実だが・・・正直、寂しかった。
オランダ村に着いてみると、西彼町のはからいだろう、地元の中学生や幼稚園児ら約400人が集まってくれていた。手作りの赤青白3色のオランダ国旗を振り、プリンス・ウィレムを曳航する数隻のタグボートが作業を進めるのを興味深そうに見守っている。
見送りの中には、懐かしい人もいた。地元のメディアも来ていた。空にはヘリコプターさえ飛んでいた。低く飛ぶその爆音の中で、プリンス・ウィレムは出航しようとしている。紅蓮のライオンのフィギュアヘッド(船首像)が、いつもと変わらず波頭を見つめていた。
町長の挨拶をはじめとする短いセレモニーが終わり、いよいよ、出航の時が近づいた。
タグボートから張られたロープにピン、とテンションがかかり、巨大な船体が音もなく滑り始めた瞬間、カメラを回していた同僚は胸が熱くなったという。
―――いつまでも変わらずにそこにあると信じていたものが、不意にいなくなってしまう瞬間。
もう、オランダの建物越しに見えるマストと、そこにひるがえる旗を見ることはないのだ。
タグボートの巧みな曳航で、プリンス・ウィレムは18年もの時を過ごしたオランダ村を後にした。
オランダの児童小説に題材を取った『ボンテクー船長付きの三人の少年給仕たち』の銅像が、まるでその本の中の1シーンのように、去っていく船体を見送っている。
港を遠ざかる、その船影。
「行っちまった・・・」
古いスタッフがそう呟いたが、本当の出航準備は―――、これからだった。
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とまる
2003年10月19日 千年の街のワイルドライフちょっと失礼な言い方で、「頭にハエが止まる(くらい頭の回転が遅い)」なんてのがありますが、カーブを曲がろうとしている最中の「バスの屋根にハトが止まる」なんてのはハウステンボスのクラシックバスだけだろう。
しかも、カーブを曲がりきったところでまた飛び立っていきおった。
そんなにトロいか、ウチのバス(場内の制限速度15km/h)。
しかも、カーブを曲がりきったところでまた飛び立っていきおった。
そんなにトロいか、ウチのバス(場内の制限速度15km/h)。
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「ビールをおいしく飲もう選手権」
2003年10月4日 ハウステンボスは美味すぃ〜なんだと思います?
これ、ハウステンボスの午後のイベントで、選ばれた5人のお客さまのうち「もっとも旨そうにビールを飲み干した人」が勝ち(審査は観客の皆様の拍手の多さで決められる)という、ちょいと人気のある(笑)お客さま参加型のイベントです。早飲みでないのがミソ。イッキは健康に良くないからね。酒は美味しく飲みましょう。
ビールがタダで飲めるとあっていつも参加者はジャンケンの勝ち残り。優勝商品はなんと登場したビール全種5本セットという『豪華粗品』(参加賞もあり)。
幸か不幸かノンアルコールビールが当たってしまったおとうさんのなんともいえない表情や、仲間のヤンヤの応援や、意外にいい飲みっぷりの女性など、観客席は笑いが絶えません。
ただひとつ・・・ビールをイッキ飲みするにはちと肌寒いシーズンになったことを除けば・・・ね(^^;
なんたってイベントに使用するビールは、容器ごとクラッシュドアイスに埋められてキンキンに冷えておりますから・・・
ちなみにこのイベント、10月11日からは「ワインをおいしく飲もう選手権」になりました。(11月終了)
これ、ハウステンボスの午後のイベントで、選ばれた5人のお客さまのうち「もっとも旨そうにビールを飲み干した人」が勝ち(審査は観客の皆様の拍手の多さで決められる)という、ちょいと人気のある(笑)お客さま参加型のイベントです。早飲みでないのがミソ。イッキは健康に良くないからね。酒は美味しく飲みましょう。
ビールがタダで飲めるとあっていつも参加者はジャンケンの勝ち残り。優勝商品はなんと登場したビール全種5本セットという『豪華粗品』(参加賞もあり)。
幸か不幸かノンアルコールビールが当たってしまったおとうさんのなんともいえない表情や、仲間のヤンヤの応援や、意外にいい飲みっぷりの女性など、観客席は笑いが絶えません。
ただひとつ・・・ビールをイッキ飲みするにはちと肌寒いシーズンになったことを除けば・・・ね(^^;
なんたってイベントに使用するビールは、容器ごとクラッシュドアイスに埋められてキンキンに冷えておりますから・・・
ちなみにこのイベント、10月11日からは「ワインをおいしく飲もう選手権」になりました。(11月終了)
フエゴ・デ・エスパーニャ・in・ハウステンボス
2003年9月30日今ハウステンボスでは、スペイン有数の実力派フラメンコチーム「フエゴ・デ・エスパーニャ(スペインの炎、の意)」選抜メンバーによるロングラン公演を開催中! メンバーは総勢12名の大所帯で、激しくも巧みに操られる炎のようなステップ、切なくかき鳴らされるギター、そして魂を揺さぶる力強い歌声。ヨーロッパの街並みで繰り広げられる芸術的なフラメンコは「なんでオランダでスペインなの?」とツッコミを入れていた人も、見終わった頃にはパルマ(手拍子)を叩いているほどのアツさ。小さい女の子が、ステージを思い出しては何度も自分のスカートに手を添えて踊りながら歩いていたり、上品なおじいさんおばあさんのグループが見終わった途端にバイラオールやバイラオーラ(フラメンコダンサーのそれぞれ男性・女性の呼称)にヘンシーン、立ち上がったその場で互いに踊り始めたりと、もう影響力ありあり。
彼らによるフラメンコ教室も開催されていて(要予約)、なかには毎年来てくれる『超イケメン』の男性ダンサーめあての若奥様も・・・いたりして。
女性の情念がこれほどまでに激しくも力強い美に満ちているのかとか、男性ダンサーの鍛え上げられたしなやかな肉体の舞いにセクシーさを感じたりとか、皆さんの感想もいろいろですが、そんな「フエゴ・デ・エスパーニャ」のメンバーに関するエピソードをひとつ。
最初にダンサー3人で来日した年、人気沸騰の男性ダンサーをはさんで、いかにもロマ(ジプシー)の血をひいていそうな凄みのある美人姐さんダンサーとは対照的に、まだどこかティーンエイジャーのあどけなさを残した女の子ダンサーがいました。体型もすこし健康的で、「色白のぽっちゃりさん」、つまりとても可愛いのです。この三人に無理矢理ストーリーを作ってみれば、大切なカレシを謎の美女に誘惑されて戸惑う純真な小娘、といったところでしょうか。
素顔の彼女は、その若さ故にとても練習熱心で、ディナーショーが終わればフラメンコチームは帰って良かったのに、ひとり練習室に残って鏡に向かい激しくステップを踏み続けていました。寂しくなるとスタッフの事務所をおずおずと覗き込み、「あの・・・私、練習室にいるから・・・最終の送迎バスが出る前には、私にも声かけてください・・・」と、おぼつかない英語で我々にお願いしたり。とってもいい子なんです。
と・こ・ろ・が。
彼女にはひとつ、どこかで聞いたような弱点がありました。
甘いものがだ〜い好き!!!
夏に来日したせいか、とくにソフトクリームに超ハマってしまい、彼女がハウステンボスの通りをぶらついている時は必ず、ソフトクリームを握りしめて美味しそうにパクついている始末。自主練習も結構なのですが、事務所に遊びに来る彼女の手には必ず「ダイエットでない」コカコーラが。
ちょうどその頃「フラメンコで痩せる!」なぁんてダンス・ダイエットが雑誌でブームになりましたが、運動する以上に食べれば太るわけで。
公演終了間際には、「背中のジッパーをあげてくださる?」といえば聞こえはいいですが、衣装のジッパーをあげる際には彼女の他にもうひとりふたり付くようになってしまいました。せーので息を吸ってもらって、イキオイであげるわけです。おかげで衣装はピッチピチ。
「ダメだよ〜、これじゃあ!」といっても・・・あんまり効き目なし。しかも、次の年に再来日した時には、ちゃあんとその体型を維持していた始末!
その年の公演の終わりには、ひょっとすると彼女のフラメンコ生命の今後は・・・とスタッフはため息を付きながら見送ったのでした。
と、ここまでが最近どこかで聞いたような話。
しかし、です。
今年、彼女はパワーアップして帰って来たのです。肉付きのいい身体を見事な「グラマラス・ボディ」に変えて!
いまや、押しも押されもせぬ実力派バイラオーラ。練習の成果もあってそのダンスは凄みを増し、もう「小娘」なんていわせません。立派な「女」です。
人気トップのイケメンダンサー(男性)との掛け合いも、付き合いが長いこともあって超絶妙。客席を魅了する妖しい眼差し、豹のようにしなやかな手や腰の動き、そしてなによりセクシーなボディ、そしてそこだけがどこか少女らしい、赤い靴の似合う見事な足さばき。
努力に勝る天才なしって、ホントなんですね。これからも頑張って欲しいものです!
フエゴ・デ・エスパーニャのハウステンボス公演は、11月9日まで。必見ですよ!
彼らによるフラメンコ教室も開催されていて(要予約)、なかには毎年来てくれる『超イケメン』の男性ダンサーめあての若奥様も・・・いたりして。
女性の情念がこれほどまでに激しくも力強い美に満ちているのかとか、男性ダンサーの鍛え上げられたしなやかな肉体の舞いにセクシーさを感じたりとか、皆さんの感想もいろいろですが、そんな「フエゴ・デ・エスパーニャ」のメンバーに関するエピソードをひとつ。
最初にダンサー3人で来日した年、人気沸騰の男性ダンサーをはさんで、いかにもロマ(ジプシー)の血をひいていそうな凄みのある美人姐さんダンサーとは対照的に、まだどこかティーンエイジャーのあどけなさを残した女の子ダンサーがいました。体型もすこし健康的で、「色白のぽっちゃりさん」、つまりとても可愛いのです。この三人に無理矢理ストーリーを作ってみれば、大切なカレシを謎の美女に誘惑されて戸惑う純真な小娘、といったところでしょうか。
素顔の彼女は、その若さ故にとても練習熱心で、ディナーショーが終わればフラメンコチームは帰って良かったのに、ひとり練習室に残って鏡に向かい激しくステップを踏み続けていました。寂しくなるとスタッフの事務所をおずおずと覗き込み、「あの・・・私、練習室にいるから・・・最終の送迎バスが出る前には、私にも声かけてください・・・」と、おぼつかない英語で我々にお願いしたり。とってもいい子なんです。
と・こ・ろ・が。
彼女にはひとつ、どこかで聞いたような弱点がありました。
甘いものがだ〜い好き!!!
夏に来日したせいか、とくにソフトクリームに超ハマってしまい、彼女がハウステンボスの通りをぶらついている時は必ず、ソフトクリームを握りしめて美味しそうにパクついている始末。自主練習も結構なのですが、事務所に遊びに来る彼女の手には必ず「ダイエットでない」コカコーラが。
ちょうどその頃「フラメンコで痩せる!」なぁんてダンス・ダイエットが雑誌でブームになりましたが、運動する以上に食べれば太るわけで。
公演終了間際には、「背中のジッパーをあげてくださる?」といえば聞こえはいいですが、衣装のジッパーをあげる際には彼女の他にもうひとりふたり付くようになってしまいました。せーので息を吸ってもらって、イキオイであげるわけです。おかげで衣装はピッチピチ。
「ダメだよ〜、これじゃあ!」といっても・・・あんまり効き目なし。しかも、次の年に再来日した時には、ちゃあんとその体型を維持していた始末!
その年の公演の終わりには、ひょっとすると彼女のフラメンコ生命の今後は・・・とスタッフはため息を付きながら見送ったのでした。
と、ここまでが最近どこかで聞いたような話。
しかし、です。
今年、彼女はパワーアップして帰って来たのです。肉付きのいい身体を見事な「グラマラス・ボディ」に変えて!
いまや、押しも押されもせぬ実力派バイラオーラ。練習の成果もあってそのダンスは凄みを増し、もう「小娘」なんていわせません。立派な「女」です。
人気トップのイケメンダンサー(男性)との掛け合いも、付き合いが長いこともあって超絶妙。客席を魅了する妖しい眼差し、豹のようにしなやかな手や腰の動き、そしてなによりセクシーなボディ、そしてそこだけがどこか少女らしい、赤い靴の似合う見事な足さばき。
努力に勝る天才なしって、ホントなんですね。これからも頑張って欲しいものです!
フエゴ・デ・エスパーニャのハウステンボス公演は、11月9日まで。必見ですよ!
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こどもの王国
2003年9月26日今日のハウステンボスは、小学校の修学旅行ご一行様がどっと押し寄せて(いったい何校いたんだろう?)、さながら「こどもの王国」でした。
へだらなクジびきとかレトロなアーケイドゲームとかにせっせとお小遣いをつぎ込んでしまっている最中の子等を微笑ましく見守っていたら、あやうく小学生の自転車にはねられるところでした(^^; まっすぐ歩けないくらいいるんだもん、子どもら。
面白かったのは、記念写真とか撮ってくれるご一行様「お付き」のカメラマンさんに道を聞いている子がいたこと(オトナの人に聞けばとりあえずOKなあたりコドモって可愛い)。
しかも、そのカメラマンさんがスラスラ答えていたこと(^^;
考えてみれば、小学校の修学旅行って子供たちは毎年変わるけど学校としての行き先は毎年同じだったりするワケで、でもってその修学旅行の記念写真とか撮ってくれるご一行様「お付き」のカメラマンさんは、学校の近所の写真館のおやじさんだったりするワケで、つまり毎年同じシーズンにハウステンボスに来場している「リピーター」さんだったりするワケで、そうすると場内の地理や知っ得情報にも自然と精通するワケで。そんな感じ。
お昼ご飯を買いに行く時に見かけて、帰りにまたすれ違ったんですが、結局おじさん、女の子ふたりチョコレートハウスまで案内してました(^-^)
お天気のいい、お昼の出来事でした。
へだらなクジびきとかレトロなアーケイドゲームとかにせっせとお小遣いをつぎ込んでしまっている最中の子等を微笑ましく見守っていたら、あやうく小学生の自転車にはねられるところでした(^^; まっすぐ歩けないくらいいるんだもん、子どもら。
面白かったのは、記念写真とか撮ってくれるご一行様「お付き」のカメラマンさんに道を聞いている子がいたこと(オトナの人に聞けばとりあえずOKなあたりコドモって可愛い)。
しかも、そのカメラマンさんがスラスラ答えていたこと(^^;
考えてみれば、小学校の修学旅行って子供たちは毎年変わるけど学校としての行き先は毎年同じだったりするワケで、でもってその修学旅行の記念写真とか撮ってくれるご一行様「お付き」のカメラマンさんは、学校の近所の写真館のおやじさんだったりするワケで、つまり毎年同じシーズンにハウステンボスに来場している「リピーター」さんだったりするワケで、そうすると場内の地理や知っ得情報にも自然と精通するワケで。そんな感じ。
お昼ご飯を買いに行く時に見かけて、帰りにまたすれ違ったんですが、結局おじさん、女の子ふたりチョコレートハウスまで案内してました(^-^)
お天気のいい、お昼の出来事でした。
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意外だけどあるもの。
2003年9月23日 ハウステンボス的日常・・・意外かも知れないけど、ハウステンボス内にホントにあるもの。
パトカー2台、消防車1台、救急車1台、高所作業用バケット車2台、専用ガソリンスタンド、歩行者専用信号機、遮断機、横断歩道、正式に海図に掲載されている灯台、船舶修理工場、海洋清掃船2隻、海水淡水化プラント、下水処理場、コージェネレーションシステム、燃料電池ユニット、新聞編集部、総務省認可の場内ケーブルテレビ局、
んでもって、社内用電話帳に「森の小屋」が正式名称として載っている建屋。
・・・ここに電話かけるとホントに『はい、森の小屋です』つって、スタッフが電話に出る。
パトカー2台、消防車1台、救急車1台、高所作業用バケット車2台、専用ガソリンスタンド、歩行者専用信号機、遮断機、横断歩道、正式に海図に掲載されている灯台、船舶修理工場、海洋清掃船2隻、海水淡水化プラント、下水処理場、コージェネレーションシステム、燃料電池ユニット、新聞編集部、総務省認可の場内ケーブルテレビ局、
んでもって、社内用電話帳に「森の小屋」が正式名称として載っている建屋。
・・・ここに電話かけるとホントに『はい、森の小屋です』つって、スタッフが電話に出る。
11年めのハウステンボス
2003年9月19日・・・11年目にして、「ようやく」というか「とうとう」というか、今まで誰もが思ってはいても公式には口に出して言わなかったことを、自分らでやってしまいました。TV−CM(福岡/佐賀/長崎のみO.A.)。
・・・ってゆーか、実は前々からやりたかったのかも。
詳しくはオフィシャルサイトの以下のページで。ブロードバンドにつき注意。
http://bb.huistenbosch.co.jp/
しかもこのCM、ホンモノのオランダ人社員が二人も出てるんですけど!
(確認したい人はハウステンボスに探しに来よう! なんつって。)
・・・ってゆーか、実は前々からやりたかったのかも。
詳しくはオフィシャルサイトの以下のページで。ブロードバンドにつき注意。
http://bb.huistenbosch.co.jp/
しかもこのCM、ホンモノのオランダ人社員が二人も出てるんですけど!
(確認したい人はハウステンボスに探しに来よう! なんつって。)
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ザ・スパイダー
2003年9月18日自分の前髪ってギリギリ見えるもんですが、今日ふと気づいたら、前髪の1本ともう1本の間に、あやうくミリ単位の子グモに巣を張られそうになっていたってのは私だけでしょーか。でしょーね。
そっと取って自然へ帰してあげましたが、前夜停めただけの愛車とお隣さんの間に巣を張られていた時よりも、会社から定時で帰ったのにドアノブとドアチャイムの間に巣を張られていた時よりも、ガックリと力が抜けたのはいうまでもない。
しかもこれ、人生で2回目(- -;
そっと取って自然へ帰してあげましたが、前夜停めただけの愛車とお隣さんの間に巣を張られていた時よりも、会社から定時で帰ったのにドアノブとドアチャイムの間に巣を張られていた時よりも、ガックリと力が抜けたのはいうまでもない。
しかもこれ、人生で2回目(- -;
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自家製メニューのレストラン
2003年9月16日 ハウステンボスは美味すぃ〜パスタが手打ちとか、ソースがオリジナルとか、自家製メニューのレストランはいろいろありますが、ハウステンボスのレストランが「玄関前でハーブを栽培してる」ってのあんまりですか?
毎朝、そこから新前シェフが、ミントとかバジルとかパセリとか、せっせと摘んでいるんですが。マジで。
まぁ、無農薬・有機栽培なのは間違いないですので。
観賞用なら、巨大気球ルフティーの下の野原にはラベンダーが伸び放題になってる所があるし、チョコレートハウスの裏の、元は花壇だった区画にはローズマリーが足の踏み場もないくらい野生化しちゃってるし、とりあえずハーブには事欠きません、ハウステンボス。
ハーブ以外で食べられるものといえば、ヤマモモの木が場内にいっぱいあるのですが、甘い実がなる度に某レストランの親分シェフが、毎年「ジャムを作ろうか、酒に漬けようか」とたくらんでいるらしいです。そんなこと言いながら鳥さん以外誰も取らないから、いつも道いっぱいに落ちてますが。
そうこうしながら街の中央のアレキサンダー広場を通りかかったら、ガーデニングエリアで可愛いウェイトレスのおねえちゃんが小さなカゴを手に、ハーブの新芽を探して摘んでました。ユトレヒトからトコトコお使いだったらしい(世界名作アニメ劇場のなんかの1シーンみたいと思ったのはワタシだけか?)。まぁこれも、無農薬・有機栽培なのは間違いないが。
・・・なんか、いつだっけかミニトマトも自家製とか聞いたけど。今年の夏はガーデニングエリアにパイナップルとブドウと茄子がなってたけど。ホースランド(馬場)のすみっこでキャベツ見た気がするけど。場内のどっかにはクリの木があるとか教えてもらったけど。確かに数年前の秋のイベントにイモ掘りってのがあったけど! チューリップの球根は掘り出した後お菓子に練り込んで商品化してるのは知ってるけど!! けどさぁ!!!
まさか自給自足めざしてるんだろーか、ウチの会社。
まさかね。
でも、運河にカキもナマコもどでかいチヌもスズキもいるしなぁ・・・
毎朝、そこから新前シェフが、ミントとかバジルとかパセリとか、せっせと摘んでいるんですが。マジで。
まぁ、無農薬・有機栽培なのは間違いないですので。
観賞用なら、巨大気球ルフティーの下の野原にはラベンダーが伸び放題になってる所があるし、チョコレートハウスの裏の、元は花壇だった区画にはローズマリーが足の踏み場もないくらい野生化しちゃってるし、とりあえずハーブには事欠きません、ハウステンボス。
ハーブ以外で食べられるものといえば、ヤマモモの木が場内にいっぱいあるのですが、甘い実がなる度に某レストランの親分シェフが、毎年「ジャムを作ろうか、酒に漬けようか」とたくらんでいるらしいです。そんなこと言いながら鳥さん以外誰も取らないから、いつも道いっぱいに落ちてますが。
そうこうしながら街の中央のアレキサンダー広場を通りかかったら、ガーデニングエリアで可愛いウェイトレスのおねえちゃんが小さなカゴを手に、ハーブの新芽を探して摘んでました。ユトレヒトからトコトコお使いだったらしい(世界名作アニメ劇場のなんかの1シーンみたいと思ったのはワタシだけか?)。まぁこれも、無農薬・有機栽培なのは間違いないが。
・・・なんか、いつだっけかミニトマトも自家製とか聞いたけど。今年の夏はガーデニングエリアにパイナップルとブドウと茄子がなってたけど。ホースランド(馬場)のすみっこでキャベツ見た気がするけど。場内のどっかにはクリの木があるとか教えてもらったけど。確かに数年前の秋のイベントにイモ掘りってのがあったけど! チューリップの球根は掘り出した後お菓子に練り込んで商品化してるのは知ってるけど!! けどさぁ!!!
まさか自給自足めざしてるんだろーか、ウチの会社。
まさかね。
でも、運河にカキもナマコもどでかいチヌもスズキもいるしなぁ・・・
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台風一過
2003年9月13日・・・を、「台風一家」だと思っていた人、恥ずかしがらずに前へ出てください。
ちなみにワタクシは子供の頃「はろう注意報」って一体どんなんだろうと想像もつきませんでした。
「今年最大」の大型台風が来ると聞くたびに思い出すのが、
ハウステンボス建設中の1991年(平成3年9月27日)、長崎県地方を直撃しその後日本海を北上、ご丁寧にも北海道へ再上陸した大型台風19号のことです。(中心気圧940hPa、中心付近の最大風速50m/s、風速25m/s以上の暴風域の半径300km)
いやもう、長崎では造船所の超巨大クレーンはぶっ倒れるは、西海橋で車はひっくり返るは、身近なところでは友人のお兄さん(ちなみに長崎県警交通機動隊所属)がアパートに帰ったら部屋からそっくり青空が見えたとか、当時のウチのアパート(公団住宅)なんか、ベランダの非常通路(石膏ボードで隣と仕切ってあるアレ)が端から端まで風圧でブチ抜かれて1号室から6号室までストレートでいけるようになっちゃうわで大変だったんですが、幸いハウステンボスには、建設会社の皆さんのしっかりした対策もあって、大した被害はありませんでした。我々がいたプレハブの仮設事務所の扉(引き戸)が強風で丸ごとこっぱずれたくらい。
そんなてんやわんやの大騒ぎの中で唯一、その大型台風襲来を『得難い好機』と捕らえた人がいたと、噂されています。
ドムトールンの設計・施工担当者です。
ハウステンボスで最も高く、しかもオランダでも最も高い教会の塔を再現したドムトールン(英語ではドム・タワー:ドム教会の塔、の意。オリジナルはユトレヒト市)は高さ105m。これだけ高いと強風や地震の影響は上に行くほど大きく、最上階の5階(5階っつーても地上80m。ちなみにその下の4階は地上65m)では、体感するその揺れは相当のものになると予想されます。が、ハウステンボスのドムトールンは「チェーンド・マス・ダンパー」と呼ばれる制振装置を、展望室のさらに上の頭頂部に備えています。この装置、幾層ものゴム製ダンパーに支えられた8.5 トンの重りが、塔の揺れを打ち消す方向へと動くことで、振幅を2分の1から3分の1に低減する仕掛け。詳しくはその5階展望室に模型とパネルがありまっす。
で、担当者がなぜ喜んだかというと、このチェーンド・マス・ダンパーの「これ以上ない実際のデータがとれる!」という・・・技術者魂にあふれたものだった・・・とか。
噂によると、強風の中、嬉々として非常階段を(建設中だからね)登っていき、台風が完全に過ぎ去る翌朝まで下りて来なかった・・・とか(『プロジェクトX』みたいだなぁ)。
当時の広報担当係長に聞いたのですが、「嬉々として」ってのはホントなのかなぁ(^^;
ただし、登ったという証拠はあります。その時のデータがドムトールンの5階展望室にパネル展示してあるのです。ぜひ御覧あれ。
・・・その安定性のせいなのかどうなのか、このドムトールンの屋根のてっぺんには、ハヤブサが巣を作ってます。大丈夫だったかな?
ちなみにワタクシは子供の頃「はろう注意報」って一体どんなんだろうと想像もつきませんでした。
「今年最大」の大型台風が来ると聞くたびに思い出すのが、
ハウステンボス建設中の1991年(平成3年9月27日)、長崎県地方を直撃しその後日本海を北上、ご丁寧にも北海道へ再上陸した大型台風19号のことです。(中心気圧940hPa、中心付近の最大風速50m/s、風速25m/s以上の暴風域の半径300km)
いやもう、長崎では造船所の超巨大クレーンはぶっ倒れるは、西海橋で車はひっくり返るは、身近なところでは友人のお兄さん(ちなみに長崎県警交通機動隊所属)がアパートに帰ったら部屋からそっくり青空が見えたとか、当時のウチのアパート(公団住宅)なんか、ベランダの非常通路(石膏ボードで隣と仕切ってあるアレ)が端から端まで風圧でブチ抜かれて1号室から6号室までストレートでいけるようになっちゃうわで大変だったんですが、幸いハウステンボスには、建設会社の皆さんのしっかりした対策もあって、大した被害はありませんでした。我々がいたプレハブの仮設事務所の扉(引き戸)が強風で丸ごとこっぱずれたくらい。
そんなてんやわんやの大騒ぎの中で唯一、その大型台風襲来を『得難い好機』と捕らえた人がいたと、噂されています。
ドムトールンの設計・施工担当者です。
ハウステンボスで最も高く、しかもオランダでも最も高い教会の塔を再現したドムトールン(英語ではドム・タワー:ドム教会の塔、の意。オリジナルはユトレヒト市)は高さ105m。これだけ高いと強風や地震の影響は上に行くほど大きく、最上階の5階(5階っつーても地上80m。ちなみにその下の4階は地上65m)では、体感するその揺れは相当のものになると予想されます。が、ハウステンボスのドムトールンは「チェーンド・マス・ダンパー」と呼ばれる制振装置を、展望室のさらに上の頭頂部に備えています。この装置、幾層ものゴム製ダンパーに支えられた8.5 トンの重りが、塔の揺れを打ち消す方向へと動くことで、振幅を2分の1から3分の1に低減する仕掛け。詳しくはその5階展望室に模型とパネルがありまっす。
で、担当者がなぜ喜んだかというと、このチェーンド・マス・ダンパーの「これ以上ない実際のデータがとれる!」という・・・技術者魂にあふれたものだった・・・とか。
噂によると、強風の中、嬉々として非常階段を(建設中だからね)登っていき、台風が完全に過ぎ去る翌朝まで下りて来なかった・・・とか(『プロジェクトX』みたいだなぁ)。
当時の広報担当係長に聞いたのですが、「嬉々として」ってのはホントなのかなぁ(^^;
ただし、登ったという証拠はあります。その時のデータがドムトールンの5階展望室にパネル展示してあるのです。ぜひ御覧あれ。
・・・その安定性のせいなのかどうなのか、このドムトールンの屋根のてっぺんには、ハヤブサが巣を作ってます。大丈夫だったかな?
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ハウステンボスオリジナル・テディベア
2003年9月11日ハウステンボスにはテディベアのミュージアムとテディベアの専門店があって、ハウステンボスオリジナル・テディベア、なんてぇ商品も売ってます。
シュタイフ社が作ってくれたのとか季節限定シリアルナンバー入り250体のみとか、本格派のはいろいろあるんですが、ワタクシ幻耶麻がハマってるのは手ごろな「お手玉ベア(@800円ナリ)」。
文字通り、お手玉ぐらいのサイズでお手玉みたいな手触りに、やる気のなさそうな無表情さが可愛い(<おいおい)熊なんですが、なにが可愛いってそのバージョン。
最初は普通にブラウンの手触り重視のやつだったんですが、クリスマス限定の白いのや、夏限定のサラサラ生地のはともかく、いつしかヒョウ柄のパーカを着たのが出、ミツバチの着ぐるみを着たのが出、同じくテントウ虫になりきっているのが出、ヒツジ年だっつーんでヒツジの着ぐるみを着たのが出(これ完売)、しまいにゃウシ柄とかクリスマスツリーに「なっちゃってる」奴とか出、とうとう今年の秋には「イガ栗」と「カボチャ」が出ました。
可愛さを追求してるんだか、笑いを取りにいってるんだか、だんだんわかんなくなってきた。
そんなわけで、集めてます(^^;
あっそうそう、テディベアじゃないけど「チューリップのぬいぐるみ」もハウステンボスの人気商品です。
夏限定で「ゆかた」着てるチューリップには笑ったけど。夏にチューリップが咲くかぁっ!(<ツッコミ)
シュタイフ社が作ってくれたのとか季節限定シリアルナンバー入り250体のみとか、本格派のはいろいろあるんですが、ワタクシ幻耶麻がハマってるのは手ごろな「お手玉ベア(@800円ナリ)」。
文字通り、お手玉ぐらいのサイズでお手玉みたいな手触りに、やる気のなさそうな無表情さが可愛い(<おいおい)熊なんですが、なにが可愛いってそのバージョン。
最初は普通にブラウンの手触り重視のやつだったんですが、クリスマス限定の白いのや、夏限定のサラサラ生地のはともかく、いつしかヒョウ柄のパーカを着たのが出、ミツバチの着ぐるみを着たのが出、同じくテントウ虫になりきっているのが出、ヒツジ年だっつーんでヒツジの着ぐるみを着たのが出(これ完売)、しまいにゃウシ柄とかクリスマスツリーに「なっちゃってる」奴とか出、とうとう今年の秋には「イガ栗」と「カボチャ」が出ました。
可愛さを追求してるんだか、笑いを取りにいってるんだか、だんだんわかんなくなってきた。
そんなわけで、集めてます(^^;
あっそうそう、テディベアじゃないけど「チューリップのぬいぐるみ」もハウステンボスの人気商品です。
夏限定で「ゆかた」着てるチューリップには笑ったけど。夏にチューリップが咲くかぁっ!(<ツッコミ)
来年のNHK大河ドラマロケ
2003年9月4日 ハウステンボス.STAFF LIFE来年のNHK大河ドラマ「新撰組!」のロケが今日、ハウステンボスでありました。
「武蔵」がいよいよ佳境に入ってきているNHK大河ドラマですが、来年は「新撰組!」っつーことで、制作快調なようです。
といっても、今日ハウステンボスであったのは、嘉永六年(1853年)に浦賀に現れた「米国東インド艦隊(いわゆるペリーの黒船来襲)」の、しかも船上での日常のひとコマのシーンで、コックが蒸気帆船の甲板で逃げたニワトリを追っかけたりそれへ軍人が怒鳴ったりというもの。微笑ましいでんなぁ。つーか、いいのかそんなことで米国東インド艦隊(当時)。どういうノリのドラマなの新撰組。教えてよ香取君。
舞台となったのは、ハウステンボスが所有する幕末帆船・観光丸船上。この観光丸は
幕末に日本が初めて所有した洋式艦船で、1855年8月、時のオランダ国王ウィレム3世が徳川将軍に献上したもの。ペリーの黒船とまさに同時代というわけです。
この観光丸を得て日本は初めて洋式艦船を所有することになり、そして同年10月の長崎海軍伝習所開設と同時に練習艦として使用され、後の明治維新に活躍した勝海舟や榎本武揚らの逸材を生み出していったのです。
ハウステンボスはこれを1988年、オランダ・アムステルダムで当時の姿に忠実に復元、71日をかけて実際に日本まで回航。現在は毎日の大村湾クルーズをキチンキチンとこなしている「マジメ社員」のような船なのですが、時折りNHKさんをはじめとするTV局から『黒船の役を演じて欲しい』と頼まれる、ハウステンボスきっての「女優」でもあるのです。
これまでの出演は、同じくNHK大河ドラマ「徳川慶喜」、年末時代劇「またも辞めたか亭主殿〜小栗上野介物語〜」などの大役のほか、「堂々日本史」「その時歴史が動いた」などの情報バラエティまで多岐にわたります。番組の最後に『撮影協力;ハウステンボス』とあれば、その黒船は観光丸です。CGで四隻に増えたりしてるのはご愛嬌ってことで(笑)
ところで、大村湾観光クルーズに使っている船だから「観光丸」というわけではありません。国王が贈ったのはじつは中古艇で、オランダ海軍所属時代は「スンビン」といい、それを幕府側が「観光丸」と命名したのです。
―――なぜか。
「観光」という言葉の始まりは、中国の『易経(五経のひとつで、周の初期(紀元前10世紀前後)の書)』にある「国の光を観る。もって王に賓たる利あり。国の光を観るとは賓を尚ぶなり」にあるとされています。
『易経』によれば、一国の治世者は、領地を旅して人々の暮らしを見ることによって、よい政治が行なわれているかどうかを確認せねばならないとされていました。それと同時に、よい政治の下で、人々がいきいきと暮らすことができれば、他国に「光を示す」ことにもつながる、というのです。つまり、観光の原点は、「人々の暮らしを見る」とともに、その地域に住む人々が「自ら光を示す」ことでもあるのです。
幕府はそんな大義名分をこの船に込めたのでした。
・・・意外にでかい概念なんですね(「へぇ」ボタン幾つ押します?)
というわけで、ハウステンボスにお越しの際は、この「地味社員の皮をかぶった大女優」にも一度会ってやってくださいね(^^)
「武蔵」がいよいよ佳境に入ってきているNHK大河ドラマですが、来年は「新撰組!」っつーことで、制作快調なようです。
といっても、今日ハウステンボスであったのは、嘉永六年(1853年)に浦賀に現れた「米国東インド艦隊(いわゆるペリーの黒船来襲)」の、しかも船上での日常のひとコマのシーンで、コックが蒸気帆船の甲板で逃げたニワトリを追っかけたりそれへ軍人が怒鳴ったりというもの。微笑ましいでんなぁ。つーか、いいのかそんなことで米国東インド艦隊(当時)。どういうノリのドラマなの新撰組。教えてよ香取君。
舞台となったのは、ハウステンボスが所有する幕末帆船・観光丸船上。この観光丸は
幕末に日本が初めて所有した洋式艦船で、1855年8月、時のオランダ国王ウィレム3世が徳川将軍に献上したもの。ペリーの黒船とまさに同時代というわけです。
この観光丸を得て日本は初めて洋式艦船を所有することになり、そして同年10月の長崎海軍伝習所開設と同時に練習艦として使用され、後の明治維新に活躍した勝海舟や榎本武揚らの逸材を生み出していったのです。
ハウステンボスはこれを1988年、オランダ・アムステルダムで当時の姿に忠実に復元、71日をかけて実際に日本まで回航。現在は毎日の大村湾クルーズをキチンキチンとこなしている「マジメ社員」のような船なのですが、時折りNHKさんをはじめとするTV局から『黒船の役を演じて欲しい』と頼まれる、ハウステンボスきっての「女優」でもあるのです。
これまでの出演は、同じくNHK大河ドラマ「徳川慶喜」、年末時代劇「またも辞めたか亭主殿〜小栗上野介物語〜」などの大役のほか、「堂々日本史」「その時歴史が動いた」などの情報バラエティまで多岐にわたります。番組の最後に『撮影協力;ハウステンボス』とあれば、その黒船は観光丸です。CGで四隻に増えたりしてるのはご愛嬌ってことで(笑)
ところで、大村湾観光クルーズに使っている船だから「観光丸」というわけではありません。国王が贈ったのはじつは中古艇で、オランダ海軍所属時代は「スンビン」といい、それを幕府側が「観光丸」と命名したのです。
―――なぜか。
「観光」という言葉の始まりは、中国の『易経(五経のひとつで、周の初期(紀元前10世紀前後)の書)』にある「国の光を観る。もって王に賓たる利あり。国の光を観るとは賓を尚ぶなり」にあるとされています。
『易経』によれば、一国の治世者は、領地を旅して人々の暮らしを見ることによって、よい政治が行なわれているかどうかを確認せねばならないとされていました。それと同時に、よい政治の下で、人々がいきいきと暮らすことができれば、他国に「光を示す」ことにもつながる、というのです。つまり、観光の原点は、「人々の暮らしを見る」とともに、その地域に住む人々が「自ら光を示す」ことでもあるのです。
幕府はそんな大義名分をこの船に込めたのでした。
・・・意外にでかい概念なんですね(「へぇ」ボタン幾つ押します?)
というわけで、ハウステンボスにお越しの際は、この「地味社員の皮をかぶった大女優」にも一度会ってやってくださいね(^^)
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日本最大のレースinハウステンボス(本戦)
2003年8月31日 ハウステンボス.STAFF LIFEというわけで夏休み最後の日曜日となった8月31日、ハウステンボス沖の大村湾で第10回ハウステンボスカップヨットレースが開催されました。
地元気象予報士諸氏の予想を大幅に覆し(っつーか天気予報、大ウソ)、天気晴朗にして4〜5mの南まじりの風という数年ぶりっつーか初めてに近い絶好のヨット日和。前日から準備をして来たチームも前日からアルコールを切らさなかったチーム(笑)も、セイルをあげて次々とマリーナを出航していきます(今年はとうとう泊める場所にも事欠いて運河の水門に2艇泊まってた。艇の方すんませんねぇ)
このレース、もはやハウステンボスの夏の恒例行事。地元・九州を中心に関東、関西からもエントリーがある全国規模の大会で、しかも家族連れで参加できる(つまり、海好きオヤジにしてみれば、体よく夏休みの家族サービスができる一石二鳥のベスト開催地)アットホームなレースとしても人気が高く、国内トップクラスのヨットマンからお子チャマまで幅広い層の参加があります。(これまでの最年少クルーは生後半年だったかな<それクルーいうんか)
9時30分にロングコース(参加62艇)が、10時40分にショートコース(参加90艇)がスタート。我々取材陣は弊社港湾部の誇る高速艇(by機動警察パトレイバー)でレースの模様を追います。キャプテンは巧みに艇を操り、ヨットがもっとも美しく見えるところへと突っ込んでくれます。
「あぁ、アメリカズカップのTVでこういうシーンみたなぁ」と感動するキビキビとしたタックの操作や、「おーい」と振る手にしっかりと缶ビールが握られているのを微笑ましく眺めながら、レース展開を撮り続けました(課長が)。
参戦艇とは別に僚船のクルーザーも持ち込んで、家族はプライベート観戦クルーズとしゃれこむ人もいました。
「あの紅いヨット三億円、んであっちは購入に1億5千万でレストア(修理)にまた1億5千万。それからあっちの双胴船(カタマラン)はキャビンに部屋が4つあって、レースよりもっぱら飲み会が目的。急ぐつもりはもとからないね」などとキャプテンに教えられて120ぐらい「へぇ」を連発する我々取材班(三億円は拝んでみたり。ご利益あるかな)。あるいは「あれはねー、ボロボロだったのをお父さんとお母さんが仕事帰りに毎日、ハウステンボスのヨット修理工場に寄って綺麗に塗り直したんだよー。一昨日出来上がったばっかり! このレースのために!」という綺麗な黄色のヨットに感動したりとか。
海風は気持ちいいし、色とりどりのスピン(帆)は綺麗だし、レース展開は早いし、最高に楽しいレースでした。
=以下結果= お知り合いの方、見てます〜?
ロングコース(12マイル)
優勝 GALAXY(ギャラクシー/所属ヨットクラブ:マリノア)
2位 METAXA V(メタクサ ファイブ/所属ヨットクラブ:福岡YC)
3位 ファルコン(ファルコン/所属ヨットクラブ:豊浦帆走クラブ)
ショートコース(6マイル)
優勝 LAPUTA II(ラピュータ・2/所属ヨットクラブ:長崎外洋帆走協会)
2位 トムソーヤ(所属ヨットクラブ:大草YC)
3位 シーガル II(所属ヨットクラブ:長崎空港CC)
みなさん、お疲れ様でした! また来年!
地元気象予報士諸氏の予想を大幅に覆し(っつーか天気予報、大ウソ)、天気晴朗にして4〜5mの南まじりの風という数年ぶりっつーか初めてに近い絶好のヨット日和。前日から準備をして来たチームも前日からアルコールを切らさなかったチーム(笑)も、セイルをあげて次々とマリーナを出航していきます(今年はとうとう泊める場所にも事欠いて運河の水門に2艇泊まってた。艇の方すんませんねぇ)
このレース、もはやハウステンボスの夏の恒例行事。地元・九州を中心に関東、関西からもエントリーがある全国規模の大会で、しかも家族連れで参加できる(つまり、海好きオヤジにしてみれば、体よく夏休みの家族サービスができる一石二鳥のベスト開催地)アットホームなレースとしても人気が高く、国内トップクラスのヨットマンからお子チャマまで幅広い層の参加があります。(これまでの最年少クルーは生後半年だったかな<それクルーいうんか)
9時30分にロングコース(参加62艇)が、10時40分にショートコース(参加90艇)がスタート。我々取材陣は弊社港湾部の誇る高速艇(by機動警察パトレイバー)でレースの模様を追います。キャプテンは巧みに艇を操り、ヨットがもっとも美しく見えるところへと突っ込んでくれます。
「あぁ、アメリカズカップのTVでこういうシーンみたなぁ」と感動するキビキビとしたタックの操作や、「おーい」と振る手にしっかりと缶ビールが握られているのを微笑ましく眺めながら、レース展開を撮り続けました(課長が)。
参戦艇とは別に僚船のクルーザーも持ち込んで、家族はプライベート観戦クルーズとしゃれこむ人もいました。
「あの紅いヨット三億円、んであっちは購入に1億5千万でレストア(修理)にまた1億5千万。それからあっちの双胴船(カタマラン)はキャビンに部屋が4つあって、レースよりもっぱら飲み会が目的。急ぐつもりはもとからないね」などとキャプテンに教えられて120ぐらい「へぇ」を連発する我々取材班(三億円は拝んでみたり。ご利益あるかな)。あるいは「あれはねー、ボロボロだったのをお父さんとお母さんが仕事帰りに毎日、ハウステンボスのヨット修理工場に寄って綺麗に塗り直したんだよー。一昨日出来上がったばっかり! このレースのために!」という綺麗な黄色のヨットに感動したりとか。
海風は気持ちいいし、色とりどりのスピン(帆)は綺麗だし、レース展開は早いし、最高に楽しいレースでした。
=以下結果= お知り合いの方、見てます〜?
ロングコース(12マイル)
優勝 GALAXY(ギャラクシー/所属ヨットクラブ:マリノア)
2位 METAXA V(メタクサ ファイブ/所属ヨットクラブ:福岡YC)
3位 ファルコン(ファルコン/所属ヨットクラブ:豊浦帆走クラブ)
ショートコース(6マイル)
優勝 LAPUTA II(ラピュータ・2/所属ヨットクラブ:長崎外洋帆走協会)
2位 トムソーヤ(所属ヨットクラブ:大草YC)
3位 シーガル II(所属ヨットクラブ:長崎空港CC)
みなさん、お疲れ様でした! また来年!
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日本最大のレースinハウステンボス(前夜祭)
2003年8月30日 ハウステンボス.STAFF LIFEあまり知られていないのですが、毎年8月下旬、ハウステンボスではヨットレースがあります。
日本各地から100艇以上のヨットが参戦する、国内最大のお祭りレースで今年で栄えある10回目。今年の参加艇はなんと最大の152艇! 参加人数1000人弱!! 多すぎ!!!(まじで)
バリバリにチューンしたレース艇から海好きおやぢ率いる夏休み一家のファミリー艇までごったまぜ。日蘭韓米豪(以前は仏も)と国際色も豊か(といっても、1艇ずつですけどね・・・)。優勝トロフィーを狙う本気のチームから、前夜祭のステージにあがってウケを狙うの(だけ)が目標のチームまでいろいろ。
なんせその前夜祭でビールを浴びるほど飲み、結局二日酔いでレースは途中リタイアなんて事も、ある種、常識。
スタートラインは押し合いへし合いのラッシュ時の駅のホーム。いざ出港しても風に恵まれる年とそうでない年の差が大きいのなんのって、お昼ご飯を陸(おか)で食べられる年もあれば、スピネーカーなんてあげるだけムダ、14時のタイムアウトに誰も間に合わずレース時間を延長した、なんて無風の年もありました。風に恵まれた年は年で、折り返し点では文字通り船体をぶつけあうつばぜり合い、ゴール間際ではセールで風の殺し合い(F-1で言うスリップストリームの逆ですな。先行する艇が風をシャットダウンする戦法)というデッドヒートの頭脳戦・・・という、先の読めない展開が面白いレースです。
このレースがまたなぜか、雨に強いんですよ〜。
スタッフ手作りのバーベキュー前夜祭で雨がポツポツしていても、終了まで本降りにはならず、翌日は予報がどんなであれ小雨程度。まぁ、風がないのはレースにならんのですが・・・
昨年なんか、確率80%をふっとばして、晴れちゃいましたもんね(そして表彰式、最後に優勝艇のクルーが壇上にあがった途端にザアーッときました。やっかみ?)。
これもひとえに、ワクワクしている1000人以上のヨットマンが出す《陽の氣》が、雨を押し出してしまうのではないかと、思うのです。彼らって、ホント、陽気ですからねぇ・・・高気圧ぐらい発生するかも。
というわけで、今日はその前夜祭、取材してきました。いやぁ、今年も笑った笑った。
さて、明日のレースは、一体どうなりますことやら。
日本各地から100艇以上のヨットが参戦する、国内最大のお祭りレースで今年で栄えある10回目。今年の参加艇はなんと最大の152艇! 参加人数1000人弱!! 多すぎ!!!(まじで)
バリバリにチューンしたレース艇から海好きおやぢ率いる夏休み一家のファミリー艇までごったまぜ。日蘭韓米豪(以前は仏も)と国際色も豊か(といっても、1艇ずつですけどね・・・)。優勝トロフィーを狙う本気のチームから、前夜祭のステージにあがってウケを狙うの(だけ)が目標のチームまでいろいろ。
なんせその前夜祭でビールを浴びるほど飲み、結局二日酔いでレースは途中リタイアなんて事も、ある種、常識。
スタートラインは押し合いへし合いのラッシュ時の駅のホーム。いざ出港しても風に恵まれる年とそうでない年の差が大きいのなんのって、お昼ご飯を陸(おか)で食べられる年もあれば、スピネーカーなんてあげるだけムダ、14時のタイムアウトに誰も間に合わずレース時間を延長した、なんて無風の年もありました。風に恵まれた年は年で、折り返し点では文字通り船体をぶつけあうつばぜり合い、ゴール間際ではセールで風の殺し合い(F-1で言うスリップストリームの逆ですな。先行する艇が風をシャットダウンする戦法)というデッドヒートの頭脳戦・・・という、先の読めない展開が面白いレースです。
このレースがまたなぜか、雨に強いんですよ〜。
スタッフ手作りのバーベキュー前夜祭で雨がポツポツしていても、終了まで本降りにはならず、翌日は予報がどんなであれ小雨程度。まぁ、風がないのはレースにならんのですが・・・
昨年なんか、確率80%をふっとばして、晴れちゃいましたもんね(そして表彰式、最後に優勝艇のクルーが壇上にあがった途端にザアーッときました。やっかみ?)。
これもひとえに、ワクワクしている1000人以上のヨットマンが出す《陽の氣》が、雨を押し出してしまうのではないかと、思うのです。彼らって、ホント、陽気ですからねぇ・・・高気圧ぐらい発生するかも。
というわけで、今日はその前夜祭、取材してきました。いやぁ、今年も笑った笑った。
さて、明日のレースは、一体どうなりますことやら。
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